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エミリ・ディキンスン家のネズミ

Editing by Design Studio Paperweight INC

2019.11.10

その名は 秋 
 その色は 地 丘にのびる動脈
 道沿いに静脈 
 小路に 大きな血の玉 
 風が窪地を吹きあげ 
 緋の雨をふらす 
 と ああ 血染の驟雨 
 帽子をいっぱい 遙か下に撒きちらし 
 赤い溜まりをあつめる 
 やがて 秋は薔薇のように渦巻いて 
 朱色の車輪に乗って去っていく


岩田典子の訳による「エミリ・ディキンスンを読む」のページを辿ると、この詩人が隠遁生活をおくる謎の詩人と言うよりも、内に情熱を秘めた感性豊かな女性であった事がよく分かります。

 エミリ・ディキンスンは1830年12月10日、アメリカのマサチューセッツ州のアマスト(ボストンから120キロほど西の街)に生まれました。厳格な父の下、1840年から46年までアマスト・アカデミーで教育を受け、1847年にマウントホリヨーク女子学院(現在のマウント・ホリューク大学)に入学するが程なくして中退、当時信仰復興運動が繰り広げられた地域と家族の中で、ただ独り、信仰告白を拒否しました。神への信仰が薄かった訳ではありません。逆に敬虔な信者であった事は、残された900篇を超える詩稿を読めば伝わって来ます。詩の其処彼処に神への疑問や、神が作った自然への愛に溢れています。封建的な当時の風潮に疑問を持ち、生きる事の意味を探る余り不安に陥る等の情緒の豊かな心を、信仰のために晒す事が出来無かったのです。

そして、更に失恋をきっかけに引き蘢りがちとなり、自宅で病弱な母の代わりに父の世話をしながら、1886年5月15日に腎臓炎により55歳という若さで亡く死去するまで、生涯独身を通し、白い服ばかりを着ながら自宅で過ごしていました。生前に発表した詩は幾つかありましたが、その真価は死後に世間に知れ渡る事となりました。

 エミリが箪笥の奥にしまっていた詩稿は、彼女の死後発見され、妹のラヴィニアや文通手段を通して詩の指導者であったトーマス・ウェントワース・ヒギンスン、友人達の手によって編纂、エミリの死後5年経って『第一詩集』(Poems)が刊行されました。以後全詩集等出版が世紀をまたがり続けられ、現在ではホイットマンと並び称される程の、アメリカを代表する偉大な詩人となりました。

 『エミリ・ディキンスン家のネズミ』は実在した彼女の謎の多い生涯に様々な想像を加えて、詩人の魂を賛美したものです。しかも大仰な仕掛けでは無く、ディキンスン家に越してきた白いネズミのエマラインとエミリとの、愛らしくて微笑ましい友情物語のフィクションを柱としながら、彼女自身の実在の詩、そして原作者のエリザベス・スパイアーズ(この人もアメリカでは著名な詩人)の詩を絡め、愛や美しいものへの憧れ、希望に満ち溢れたものになっています。絵本画家クレア・A・ニヴォラによる繊細なイラストレーションも素晴らしい。エミリは決して孤独では無かったのだ、とエマラインの存在が架空のものにも関わらず、心の奥から優しい気持ちになる読後感が良いのです。エミリの死後、詩の出版に奔走した妹のラヴィニアがネズミ退治の悪者になっているのが少し可哀想ですね。国文社刊行本の中島完の訳文も味わい深いけれど、ネズミの詩と交錯するエミリの詩は、詩人長田弘の新訳がしっくり来ます。


 パンくずを集め、チーズをかじる。  
 それしかすることのない ただのネズミ、  
 その日暮らしのネズミが、わたしでした。  
 心みたされることなど何もなく、  
 わたしの人生はからっぽでした。  
 −エミリに、アマストのすばらしい詩人に出会うまでは。


ネズミから詩のアドバイスを貰ったエミリが言葉を更に紡ぎ、小さなネズミは詩人との出会いで自分を変えてゆきます。作者のエリザベス・スパイアーズ自身がエミリ・ディキンスンに教えを乞い、友情を育んでいるような『エミリ・ディキンスン家のネズミ』、年月を越えて深く人を揺り動かす詩の力を改めて確認出来る、そんな本でもあります。

 アメリカの田舎の片隅の屋敷内の庭園と窓から眺められる一握りの自然の讃え、自然の中に自然を超えるものの在り処を問い、愛、喜び、悲しみ、孤独、挫折、生への不安、絶望、結婚か自立かの二者選択の矛盾、永遠、不滅、神、そして人生の真理を問うた詩人に触れた途端、虜になってしまった人にもおすすめ。クリスマスの贈物にも最適だと思います。

 

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