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甘い喪失感を大人の味わいで描いたパトリス・ルコント監督作品、『イヴォンヌの香り』。

Text & Illustration by Yoshimi Yoshimoto (Design Studio Paperweight)

2016.03.10

甘い喪失感を大人の味わいで描いたパトリス・ルコント監督作品、『イヴォンヌの香り/ Le parfum d’ Yvonne』。ぼくは春の今頃、この映画をよく観る。映画の中では夏と冬の出来事が描かれているが、蒸し暑い日本の夏には全く似合わないため、今の時期に観るのだ。そしてパスカル・エスティーヴによるサウンドトラックは、花々が咲いては散り、送別が繰り返される物憂げな季節にとてもよく合うとも思う。

レマン湖のほとりを舞台に、一種の仮面舞踏会のようなドラマが繰り広げられる。その主役は何と言ってもサンドラ・マジャーニ演じるイヴォンヌ・ジャケだろう。ルコントが『イヴォンヌの香り』で登場させたファム・ファタルだ。

パールの似合う彼女の装いは、どのシーンにも心に焼き付く程の美しさだ。ヴィクトールとの出会いのシーンでは、オフショルダーの白のサマードレス。大胆な背中の開きからは、なめらかな肌を惜しげも無く覗かせている。パーティでのドレスはサーモンピンクのギンガムチェックで、大人の可愛らしさをノスタルジックに表現している。又、ウリガン・カップのコンテストでは、これ以上に無い程のエレガンスが匂い立つ艶やかな衣装。花飾りの付いたつば広の帽子に、ノウゼンカズラを思わせる優美なドレス。枚挙にいとまの無いファッションの中でも特に印象深いのは、ヴィクトールと対岸へ向かう船で着ている白い衣装だろう。「私が湖に落ちたらこれが形見よ」、そう言って彼女は上品な仕草で脱いだ、自分の下着を彼のポケットに押し込む。裾が円を描くサーキュラー・スカートが眩しい。湖上の風が彼女のスカートを翻し、彼は8mmカメラで彼女の透ける様な笑顔や美しい肢体をフィルムに収める。

展開する回想シーンに挟みこんで、12年後の冬、マント医師との再会をブルーのトーンで描いている。この寂れた冬の様が、初夏の眩しさをより一層鮮やかに蘇らせている。そして更に、冬のシーンに挿入されたヴィクトールの炎に照らされた独白が、重要なラストへと、つながってゆく。

憎み合う事無く別れた恋は、いつまでも少し苦味を含んだ甘さを残す。彼女の生家で、ヴィクトールがロラン叔父にすすめられ飲んだ、ハッカ水のように。刹那的にしか生きられない女性イヴォンヌ、そしてそれを見抜け無かったヴィクトール。

「愛しすぎるか、愛が足りないのが人間だよ」マントの語る言葉が、作品を観る者にも静かに響く。風にはためいていた、イヴォンヌのスカーフ。その橄欖石にも似た切ない色が、私達自身の失った夏の想い出と共に心の奥底へと沈みこむ事だろう。ラストノート(残の香)として、いつまでも…。

 

STORY

ヴィクトール・シュマラ(イポリット・ジラルド)には忘れられない夏の想い出があった。12年ぶりに訪れたこの湖畔の地で冬にこそ輝かしい夏が懐かしくなるのか…彼の回想が始まる。

1958年夏、 アルジェリア戦争が始まっていた。ヴィクトールはパリを離れ、スイス国境にほど近いレマン湖畔の小さな町へと逃れていた。こぢんまりとした菩堤樹荘が彼の滞在する宿だった。彼の日課は、湖を見おろす瀟酒なホテル、エルミタージュのロビーで午後を無為に過ごす事だった。そんなある日、彼は1人の女性の横顔に思わず見とれていた。

やわらかく頬にかかるおくれ髪、耳もとにこぼれるように飾られたパールピアス。彼女のそばにいたグレートデンが、何を思ったのか立ち上がり、ヴィクトールの足もとに寝そべってしまった。「犬がおじゃまでは?」これがイヴォンヌ(サンドラ・マジャーニ)との初めての出会いであった。二人は湖を行く船を眺めながらホテルの庭を歩き、とりとめのない会話を交わしていた。そこにイヴォンヌの知人が現れ、医師のルネ・マント(ジャン=ピエール・マリエール)と名乗り、なかば強引に二人をランチに招待した。三人三様の秘密を抱えたまま食事はデザートへと進み、視線だけが意味あり気に交わされる。謎めいた医師マント、自称女優のイヴォンヌ、ロシアの伯爵と名乗るヴィクトール。

湖の輝き、テニスコートでのキス、木漏れ日眩しい木立で誘うようなイヴォンヌの微笑、夏の夜の爛れたパーティ、日常から解き放たれた避暑地の滞在客だけに許された日々。ヴィクトールとイヴォンヌ、2人は刹那的悦楽の共犯者となった。実体を明かさない者同士、エルミタージュの一室で対岸の素朴なホテルで、彼女の生家の小さなベットで、お互いに何度も求め合った。しかしヴィクトールが2人の間に結婚という現実をもちこんだ時、何かがこぼれ落ちる予兆があった。彼はイヴォンヌの実体を求め始めたのだ。彼女が人に見せる夢の部分以外を。

「努力を知らない子だ。身分不相応なくらしを夢見てる。不健全だよ。」ただ1人彼が知り得たイヴォンヌの身内、ロラン叔父の言葉である。

"結婚して、アメリカに渡り、女優として成功しよう"。ヴィクトールの提案に戸惑っていた彼女だったが、曖昧な微笑で受け入れる返事をした。しかし、出発のその日、忽然と姿を消してしまう。何も告げる事なく彼女はヴィクトールのもとを去ってしまったのだ。実体をもたない香りのように、想い出だけが彼に残されている。

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